大人気漫画「デスノート」の実写化作品。
その輝かしい成功の裏で、ネット上では「実写版はひどい…」という声が絶えないのをご存知ですか?
原作を愛するがゆえに、「キャラクターが違う!」「頭脳戦が簡略化されすぎ!」といった厳しい意見が出てしまうのも事実です。
この記事では、そんな実写版デスノートの「ひどい」と言われる理由から、思わず固まってしまう「気まずいシーン」の真相、そして最大の論争点である「結局、映画とドラマはどっちがいいの?」という疑問まで、あらゆる角度から徹底的に解説していきます。
「やっぱり映画の方がいいって聞くけど本当?」「親子で見ても大丈夫?」そんなあなたの疑問に、長年のデスノートファンがお答えします!
なぜ実写版デスノートは「ひどい」と言われるのか?理由を徹底解説

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大好きな漫画やアニメが実写化されると聞いたとき、胸が高鳴るのと同時に「お願いだから、原作の世界観を壊さないで…!」と、ちょっぴり不安な気持ちになりますよね。
特に「DEATH NOTE(デスノート)」ほど、緻密なストーリーと強烈な個性を持つキャラクターで多くのファンを魅了した作品なら、その気持ちはなおさらです。
2006年に公開され大ヒットした映画を皮切りに、テレビドラマ、海外ドラマ(Netflix)と、様々な形で実写化されてきたデスノート。
しかし、その人気とは裏腹に、インターネット上では「実写版はひどい」という厳しい声が後を絶ちません。
もちろん、素晴らしい部分もたくさんあるんです。
それでも、なぜこれほどまでに「ひどい」という感想が出てきてしまうのでしょうか?
ここでは、原作を愛するファンが思わず「うーん…」と唸ってしまったポイントを、少し深掘りしてみたいと思います。
原作ファンが激怒?実写化で改変された主要キャラクター設定

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実写化が「ひどい」と言われる最大の原因は、なんといってもキャラクター設定の変更にあるかもしれません。
特に、物語の核となる二人の天才、夜神月(やがみ ライト)とL(エル)の描かれ方は、作品によって大きく異なり、ファンの中でも賛否が真っ二つに分かれています。
原作の夜神月は、成績優秀、スポーツ万能、そして類まれなカリスマ性を持つ、完璧な天才です。
彼はデスノートを手にしたことを「運命」と捉え、冷静沈着に「新世界の神になる」という壮大な計画を進めていきます。
しかし、実写版ではこの「完璧な天才」像が、必ずしもそのままではありません。
- ドラマ版の月: 天才大学生ではなく、ごく平凡な大学生として登場します。最初はデスノートの力に怯え、人間的な弱さを見せる彼が、徐々に悪のカリスマ「キラ」へと変貌していく過程は、俳優さんの名演もあって見応えがありました。しかし、原作の「最初から完成されたダークヒーロー」像を愛するファンにとっては、「これは私の知っている夜神月じゃない」という違和感につながりました。
- Netflix版の月: 「ライト・ターナー」という名前のアメリカの高校生ですが、彼は天才というより、いじめられっ子で少し気弱な青年です。彼の行動は、個人的な復讐心や、恋人のミアに焚きつけられた部分が大きく、原作の月が持っていた壮大な野望や哲学はほとんど感じられません。この変更は、物語のスケールを著しく小さくしてしまったと、多くの批判を集めました。
一方のLも、映画版で松山ケンイチさんが演じたLが「完璧すぎる」と絶賛されただけに、他の作品での変更点が目立ってしまいました。
ドラマ版のLは、潔癖症で活動的な新しいL像を提示しましたが、「もっと不気味で何を考えているかわからない雰囲気が良かった」という声も。
Netflix版のLに至っては、感情の起伏が激しく、銃を手に犯人を追いかけるなど、もはや原作の「静」のイメージとは真逆のキャラクターになっており、多くのファンを困惑させました。
魅力が半減…簡略化されてしまった天才同士の頭脳戦

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デスノートの最大の魅力といえば、月とLが互いの正体を探り合い、デスノートのルールを極限まで利用して繰り広げる、息をのむような「頭脳戦」です。
ポテトチップスの袋の中に小型テレビを隠して監視カメラを欺いたり、バスジャック事件を利用してFBI捜査官の名前を探り出したり…。
「そう来るか!」と唸らされるような、緻密な策略の応酬に、私たちは夢中になりました。
しかし、2時間程度という限られた時間で物語を完結させなければならない映画や、大胆なアレンジが加えられたドラマでは、この複雑な頭脳戦を完全に再現することは非常に困難です。
結果として、多くの実写作品では心理戦が簡略化され、派手なアクションや分かりやすい展開に置き換えられる傾向にあります。
特にNetflix版では、月がデスノートの存在をあっさりと恋人に明かしてしまったり、Lが証拠よりも直感で月を追い詰めたりと、原作の緊張感を支えていた「慎重さ」や「緻密な論理の積み重ね」が失われていました。
これでは、デスノートの面白さの半分以上が失われてしまった、と感じるファンが多かったのも無理はありません。
実写版の気まずいシーンとは?

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まず、大前提として「デスノート」は、人が次々と死んでいくダークな物語です。
正義や悪について考えさせられる重いテーマを扱っているため、小さなお子さんと一緒に見るのは、少し慎重になった方が良いかもしれません。
グロテスクな描写は少ないものの、心臓麻痺で苦しむ人の姿などは、刺激が強いと感じる可能性はあります。
その上で、原作ファンが別の意味で「気まずい」と感じてしまうシーンも存在します。
それは、シリアスな場面のはずなのに、なぜかシュールで、笑っていいのか分からないような瞬間のことです。
例えば、映画版で藤原竜也さん演じる月が、追い詰められた時に見せる鬼気迫る表情や「計画通り!」といった大仰なセリフ回しは、彼の演技の魅力でありながら、一部では「やりすぎでは?」と面白がられてしまうことも。
また、戸田恵梨香さん演じる弥海砂(あまね ミサ)の、月に対する盲目的すぎる愛情表現は、実写になるとその痛々しさが際立ち、見ているこちらが少し気まずい気持ちになる瞬間がありました。
極めつきは、続編映画『Light up the NEW world』です。
作中、コンソメ味のポテトチップスを巡って繰り広げられるやり取りは、原作の有名シーンへのオマージュなのでしょうが、あまりに突飛な展開で、サスペンスを見ているはずが、壮大なギャグを見せられているかのような、何とも言えない気まずい空気が流れます。
特にひどいと話題に…Netflix版「デスノート」の問題点

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数ある実写作品の中でも、特に「これはひどい」という声が集中してしまったのが、2017年に配信されたNetflix版です。
舞台をアメリカに移し、キャストも一新されたこの作品は、もはや「デスノートの設定だけを借りた別の物語」と言っても過言ではないほどの改変が加えられています。
- 主人公が天才ではない: 前述の通り、主人公のライト・ターナーは、ごく普通の高校生です。デスノートを使った計画も杜撰で、感情に任せた行動が目立ちます。
- デスノートをすぐに見せる: 原作の月が、家族にさえその存在を隠し通したのとは対照的に、Netflix版のライトは、出会って間もないミアにデスノートの秘密をあっさり打ち明けてしまいます。
- Lが感情的すぎる: 冷静沈着なはずのLが、怒りに任せてライトに掴みかかったり、公衆の面前で激昂したりします。
- 結末がチープ: クライマックスは、観覧車の上で繰り広げられるライトとミアの痴話喧嘩のような攻防で、原作が持っていた壮絶さや哲学的な問いかけはどこにもありません。
もちろん、これはこれで一本のティーン向けサスペンススリラーとして楽しめる、という意見もあります。
しかし、「デスノート」の看板を掲げている以上、原作ファンから厳しい目が向けられるのは、仕方のないことだったのかもしれません。
「ひどい」評判の中でも見るべき実写デスノートはどれ?作品ごとに徹底比較

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さて、ここまで実写版デスノートの「ひどい」と言われる部分をたくさん見てきましたが、「じゃあ、結局どれも見ない方がいいの?」と思われるかもしれません。
いえいえ、そんなことはありません!どの作品にも、光る魅力がちゃんとあるんです。
ここからは、「いろいろ言われているけど、実写版を見てみたい!」という方のために、それぞれの作品がどんな人におすすめなのかを、比較しながらご紹介していきます。
結局、実写の映画とドラマはどっちを見ればいい?

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日本で制作された実写版で、特に比較されるのが2006年の「映画版」と2015年の「ドラマ版」です。
この二つは、同じ原作を元にしながら、アプローチの仕方が全く違います。
どちらを選ぶべきか、それはあなたが「デスノート」に何を求めるか次第です。
- 原作の天才vs天才の対決が見たいなら → 映画版
- もし普通の人がデスノートを手にしたら?というIFストーリーが見たいなら → ドラマ版
このように、ざっくりと分けることができます。
映画版は、原作の最も面白い部分である「月とLの対決」に焦点を絞り、2本の映画で見事に描き切りました。
一方、ドラマ版は、主人公の設定を「平凡な青年」に変えることで、「人はどうやって悪に染まっていくのか」という、もう一つの深いテーマを掘り下げています。
「映画の方がいい」と言われる最大の理由はL(エル)の再現度

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「実写版デスノートで、どれか一つだけ見るなら?」と聞かれたら、多くのファンが「2006年の映画版」と答えるかもしれません。
その最大の理由は、やはり松山ケンイチさんが演じたLの、驚異的なまでの再現度にあります。
猫背の姿勢、親指を立てた携帯電話の持ち方、甘いものを山のように食べる姿、そして全てを見透かしているかのような鋭い眼光…。
まるで原作から飛び出してきたかのような彼の姿は、国内外で絶賛され、「実写化の奇跡」とまで言われました。
また、映画版はストーリーのまとめ方も秀逸です。
原作ではLの死後も物語が続きますが、映画はLとの対決で物語を完結させ、原作とは異なるオリジナルの結末を用意しました。
この結末が非常に切なく、そして見事で、「これこそが月とLの物語の最高の終わり方だ」と評価するファンも少なくありません。
藤原竜也さんが演じる、自信と狂気に満ちた夜神月も、原作のイメージにぴったりでした。
原作の持つダークでスリリングな雰囲気を、忠実に、そして最高純度で味わいたいなら、間違いなく映画版がおすすめです。
平凡な青年がキラに…ドラマ版ならではの魅力と評価ポイント

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一方で、ドラマ版にも、映画版にはない唯一無二の魅力があります。
それは、主演の窪田正孝さんの、鳥肌が立つほどの迫真の演技です。
ドラマ版の月は、最初はおどおどした、どこにでもいる普通の青年。
そんな彼がデスノートを手にしたことで、恐怖、葛藤、そして万能感に揺れ動かされ、次第に冷酷な「キラ」へと人格を変貌させていきます。
その繊細で、時に恐ろしいほどの感情の振れ幅を、窪田さんは見事に演じ切りました。
「こんな天才いるわけない」ではなく、「自分もデスノートを手にしたら、こうなってしまうかもしれない」と思わせるようなリアリティは、主人公の設定を大きく変えたドラマ版だからこそ描けたものです。
原作とは違う、もう一つの「デスノート」として、一人の人間の内面を描く心理ドラマを楽しみたいという方には、ぜひドラマ版を見ていただきたいと思います。
続編「Light up the NEW world」の評価がひどいって本当?

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2006年の映画版から10年後、その続編として鳴り物入りで公開されたのが『デスノート Light up the NEW world』です。
しかし、残念ながらこの作品に対する評価は、「ひどい」という声を含め、かなり厳しいものが多いのが実情です。
月とLという二人の天才が不在の中、新たな登場人物たちが6冊のデスノートを巡って争奪戦を繰り広げるのですが、多くの観客が感じたのは「誰も賢くない…」という絶望感でした。
デスノートの魅力であるはずの高度な頭脳戦は影を潜め、行き当たりばったりな行動やご都合主義的な展開が目立ちます。
原作へのリスペクトが感じられない演出も多く、往年のファンをがっかりさせてしまいました。
単体のサスペンスアクション映画として見れば楽しめるかもしれませんが、「デスノートの続編」として期待すると、肩透かしを食らってしまう可能性が高いでしょう。
まとめ:デスノート実写が「ひどい」と言われつつも愛される理由
ここまで見てきたように、実写版「デスノート」が「ひどい」と言われてしまうのには、キャラクターやストーリーの改変、頭脳戦の簡略化など、いくつかの明確な理由があります。
特に原作への思い入れが強いファンほど、その改変点に敏感に反応してしまうのは、仕方のないことかもしれません。
しかし、同時に忘れてはならないのは、これほどまでに賛否両論を巻き起こすこと自体が、「デスノート」という作品が持つ圧倒的なパワーの証明だということです。
2006年の映画版は、今なお「実写化の成功例」として語り継がれていますし、ドラマ版も「もう一つのデスノート」として独自の魅力を確立しました。
結局のところ、どの作品が一番良いか、という答えは人の数だけあります。
「ひどい」という評判も、一つの意見として参考にしつつ、ぜひご自身の目で確かめて、あなただけの「マイベスト・デスノート」を見つけてみてはいかがでしょうか。
きっと、原作とはまた違った、新たな発見があるはずです。